甫木元空監督、映画『BAUS』で“終わりから始まる「あした」”を描く

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多くの観客と作り手に愛された文化の交差点、吉祥寺バウスシアターと、時流に翻弄されながらもその場所を守り続けた家族をめぐる約90年の物語を描く映画『BAUS 映画から船出した映画館』。

全国上映中のこの映画で監督を務め、小説家・音楽家としても活躍する甫木元空(ほきもと そら)監督にインタビュー。

映画に込めた想いや出演する皆さんの魅力、作品作りで大切にしていることなど、たくさんお話を伺いました。

映画『BAUS 映画から船出した映画館』作品紹介

1927年。活動写真に魅了され、「あした」を夢見て⻘森から上京したサネオとハジメは、ひょんなことから吉祥寺初の映画館“井の頭会館”で働き始める。兄・ハジメは活弁士、弟・サネオは社⻑として奮闘。劇場のさらなる発展を目指す二人だったが、戦争の足音がすぐそこまで迫っていた。

映画上映だけに留まらず、演劇、音楽、落語……「おもしろいことはなんでもやる」という無謀なコンセプトを掲げ、多くの観客と作り手に愛されながら30年の歴史を築いた吉祥寺バウスシアター。2014年の閉館から遡ること約90年、1925年に吉祥寺に初めての映画館“井の頭会館”がつくられ、1951年にはバウスシアターの前身となる“ムサシノ映画劇場”が誕生していた。「映画館」という、ささやかでいてあらゆる人々に開かれた空間。本作ではそんな唯一無二の場所を舞台に、時流に翻弄されながらも娯楽を届け続けた家族の長い道のりを辿り、現在、そしてその先へと続く希望に満ちた「あした」を描き出す。

3月21日(金)より、テアトル新宿ほか全国ロードショー

(※映画『BAUS 映画から船出した映画館』公式サイトより引用)

BAUS 映画から船出した映画館
1927年。活動写真に魅了され、「あした」を夢見て青森から上京したサネオとハジメ。ひょんなことから二人は吉祥寺初の映画館"井の頭会館"で働きはじめ、兄・ハジメは活弁士として、...

公式X @BAUS_movie

吉祥寺、バウスシアターは混沌とした“遊び場”のような場所

ー改めて、映画『BAUS 映画から船出した映画館』はどういった作品ですか?

甫木元空監督(以下、甫木元):吉祥寺のバウスシアターと、その場所を守り続けた親子三代にわたる90年間の物語です。バウスシアターは映画上映だけでなく、演劇、音楽、落語など「おもしろいことはなんでもやる」というコンセプトを掲げて、多くの観客と作り手に愛されながら、2014年の閉館まで歴史を築きました。

この映画に込めた想いを教えてください。

甫木元:ひとつの映画館が無くなるまでの物語ということで、途中には家族の死や戦争、文化の終焉など、様々な“喪失”が描かれています。ですが、「あした」というテーマを大切に、“終わり”だけでなく“終わりから始まり”に目線を向けた作品にしたいと思いました。

ー撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

甫木元:現場は穏やかな空気感でした。お互いがアイデアを持ち寄って、その場で起きたものをみんなでどう面白がるか、という風に進めていました。

キャストの皆さんは、「自分がどう見えるか」より、「映画全体として、このシーンはどう在るべきか」を常に考えていてくれたんです。

ーキャストの皆さんについて、魅力を教えてください。

©本田プロモーションBAUS/boid

甫木元:主演の染谷くん(染谷将太・サネオ役)はすごく熱い男です。彼自身も監督業をやっているということもあって、現場に本当にたくさんのアイデアを持ってきてくれました。

普通、俳優さんって、出番になったら呼びに行き、現場に来てもらって撮影するんですが、染谷くんはいつの間にか現場にいて、ニコニコモニターをみてる。かといって周りに圧を感じさせるわけでもなく、本当に好きだからいる、という感じなんです。心から映画作りが好きな人なんだな、と思いました。

©本田プロモーションBAUS/boid

峯田さん(峯田和伸・ハジメ役)演じるサネオの兄は、物語のエンジンのような存在で、終戦までの空気感を作っていただきました。峯田さんは“動物的な面白さ”がすごくある方です。ミュージシャンとしても、映画の中でもそうなんですが、どれだけ小さく映っていても目が持っていかれるような存在感があります。

©本田プロモーションBAUS/boid

夏帆さん(夏帆・ハマ役)には、映画全体の母親像をひとりで担っていただいたので、本当に大変だったと思います。夏帆さんは、所作のひとつひとつから感情が伝わってくるような演技をされる方です。泣き崩れる従業員の一人を慰める、というシーンがあるんですが、肩に置いた手から“母親のあたたかさ”が感じられるんです。この映画は手も顔と同じように撮影していけばいいんだという気づきをもらいました。

©本田プロモーションBAUS/boid

橋本さん(橋本愛・ハナエ役)には、この映画の象徴のような存在を演じていただきました。橋本さんは、“瞬間”で惹きつけられる魅力を持っています。ハナエが出てくるシーン自体は短いのですが、一瞬映っただけでぱっと映画全体を持っていくような、すごく“映画的”な方だと思いました。

ー物語の舞台・吉祥寺や、バウスシアターはどういう場所だと思いますか?

甫木元:吉祥寺は、“文化のるつぼ”のような場所だと思います。混沌としたカルチャーが好きな人たちの、遊び場のような。

現代では、「映画館は映画を観る場所」「劇場は劇をやる場所」というように、わかりやすく細分化されていますよね。でも、かつては演劇やライブをやっていたところに間借りして、映画をかけ始めた、というのが映画館の始まりなんです。

バウスシアターはいい意味でそういう、混沌とした場所であり続けた。“器”のような、“場”だけ提供して「遊びに来てください」という公園のような。

そういう空気が、吉祥寺という街からも、バウスシアターからも漂ってくるのはすごく面白いと思います。

恩師・青山真治監督から受けた影響「映画も音楽も、始まりは青山さんだった」

©本田プロモーションBAUS/boid

ー今回の映画が制作された経緯を教えてください。 

甫木元:⻘山さん(故・青山真治監督)が「吉祥寺に育てられた映画館 イノカン・MEG・バウス 吉祥寺っ子映画館三代記」(本田拓夫著/文藝春秋企画出版部発行・文藝春秋発売)を原作に練っていた脚本を、青山さんの逝去をきっかけに引き継がせていただきました。 

⻘山さんが亡くなって半年頃、プロデューサーの樋口(泰人)さんにお声かけいただいたんです。すでに撮影稿まで出来上がっていた段階だったので、それを引き継ぐ形で映画化してほしいというお話でした。

ー青山監督は、甫木元監督にとってどんな存在ですか?

甫木元:青山さんは、自分が多摩美術大学に在学していたころの先生で、恩師のような存在です。映画監督になったのも、音楽活動を始めたのも、始まりはすべて青山さんがかけてくれた言葉からだったんです。

ー青山監督から受けた影響はありますか?

甫木元:本当にたくさんあるんですが、スタッフ、キャストを含めてみんなの意見を平等にすごく大事にする、ということです。

あとは、その場で起きたことをどう面白がるか、その場に合わせて変容させていく柔軟性を持つことも、すごく影響を受けました。

そういう監督としての姿勢や視点のあり方は、どんな表現をするにしても影響されたことだと思います。

ー劇中の音楽は、青山監督とも縁の深い大友良英さんが担当されたそうですね。

甫木元:大友さんがかいてくださった音楽をどうやって使うか、ということは最後までずっと考えていました。“ノイズとメロディアスの二面性”を表現することが今回一番こだわった点です。

劇中では、当時流行っていた音楽も取り入れているんです。音楽から当時の空気感を感じてもらえたら、と思います。

映画のラストは、青山監督の構想でもあった“ニューオリンズの葬儀”をイメージしています。バウスシアターの終わりとハナエの死が重なり、「なくなった(無くなった・亡くなった)」ことが街に宣言され、それもどこか肯定して受け入れられる。そんな音楽のあり方というのが、すごく面白いと思いました。

ー映画を観に来る方にメッセージをお願いします。

甫木元:“終わりから始まる物語がある”ということを、ぜひ映画館で観ていただけたらと思います。音楽にも注目していただいて、気軽に観に来ていただけたら嬉しいです!

その瞬間でしか撮れないものを逃さないようにしたい

©本田プロモーションBAUS/boid

ーここからは甫木元監督ご自身についてもお話を伺えればと思います。作品作りで大切にしていることはありますか?

甫木元:その瞬間でしか撮れないものというのが、いくつかの意味であると思うんです。例えば、そのときの自分の年齢や経験値だったり、どういうスタッフ・キャストが集まったかということだったり。

その場のメンバー、そのときの自分だから撮れるというものは逃さないようにしたいと思っています。

ー作品作りの中で楽しい瞬間を教えてください。

甫木元:いろんな人とひとつのものを作っていくと、自分が考えてなかった方向に飛躍していくのがすごく面白いなと思います。

ずっと一人で部屋に籠って、夜遅くまで書いていたものにいろんな人が手を加えて、全然違うものになる、というのが個人的にはすごく面白いことなんです。自分が投げたボールが全然違うところに転がっていったときのような感覚ですね。

みんなで作るというのはそういうことかな、と思います。自分ひとりで考えていたものが、いろんな方のいろんな思いをのせて、形を変えて作り上げられていく過程が楽しいです。

ー監督業で大変なことはありますか?

甫木元:最初の脚本を書いているときですね。ゼロから1を出す作業が大変です(笑)。

ーアイデアが浮かばないときは、どうやって乗り越えていますか?

甫木元:映画を観に行ったり、ライブを観に行ったり、小説を読んだり…。違う人が表現をしているものを観ると、自分が客観視されるんです。

あとは、人に今考えていることを話してみたりもします。そうすると、自分が考えていたことが整理されます。

ー映画・音楽・小説と多彩なジャンルで活躍されていますが、今後はどういった活動をしていきたいですか?

甫木元:そうですね、音楽活動を活かして、音楽と映画をうまく混ぜた映画を作りたいです。

あとは、原作小説を自分で書いてそれを映画化する、というのをいつかやってみたいです。

ー挑戦してみたいジャンルや題材はありますか?

甫木元:SFをやってみたいです。ぶっ飛んだ話が面白そうですよね。宇宙人がやってくるとか、手からビームみたいな(笑)。そんな軽い話をやってみたいです。

甫木元 空(ほきもと そら)プロフィール

1992年2月生まれ、埼玉県出身。1992年埼玉県生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。2016年⻘山真治・仙頭武則共同プロデュース、監督・脚本・音楽を務めた『はるねこ』で⻑編映画デビュー。第46回ロッテルダム国際映画祭コンペティション部門出品のほか、イタリアやニューヨークなど複数の映画祭に招待された。『はだかのゆめ』(2022年)は、第35回東京国際映画祭Nippon Cinema Now部門へと選出。2023年2月には「新潮」にて同名小説も発表し、9月には単行本化された。2019年結成のバンド「Bialystocks」では、2025年4月に東京・国際フォーラム ホールA、大阪・フェスティバルホールでの公演も控える。映画・音楽・小説といった3ジャンルを横断した活動を続けている。

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