ドキュメンタリー映画『夢を喰う THE WRESTLER』の藤森圭太郎監督が、ロス五輪・レスリングの金メダリスト、富山英明に8年間も密着した理由

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ロサンゼルスオリンピック・レスリングフリースタイル57kg級の金メダリスト、富山英明さんに密着した長編ドキュメンタリー作品『夢を喰う THE WRESTLER』。アスリートの挑戦と孤独を描いたこの作品は、多くのスポーツ関係者や映像関係者から高く評価されています。今回は自身初の長編ドキュメンタリー作品を作り上げた藤森圭太郎監督に、映画撮影の舞台裏や、本作で描きたかったことなどを伺いました。

映画『夢を喰う THE WRESTLER』作品紹介

ロサンゼルスオリンピック(1984年)レスリングフリースタイル57kg級の金メダリスト富山英明さんに密着した長編ドキュメンタリー作品。

現役引退後、中学時代から書き溜めた日記をもとに出版された自叙伝『夢を喰う』。夢を叶えるまでの単なるサクセスストーリーではなく、予期せぬ「まさか」に翻弄されながらも、夢を喰った人間の孤独な問いであった。それから40年後の『夢を喰う』を描く本作は、2015年に製作が開始され、8年もの制作期間を経て完成した。

アスリートはある時に引退を迎えるが、富山がレスリングを見つめる「目」はずっと変わらない。夢を喰らってしまい、生涯レスラーとして生きる宿命を背負っている目である。

「人は人生に何を求め、何を遺そうとしているのか。」普遍的ではあるが、一途に問い続けたその先に何がみえて来るのか。

『夢を喰うTHE WRESTLER』公式サイトより引用

石川県かほく市のイベント「哲楽夜市2024」にて、8月31日(土)16:45から上映決定!

詳しくは公式Instagramにて!

「運命に翻弄されながらも、人生をつき進む男の生きざまを撮りたかった」。8年間撮り続けた膨大な素材を映画に

―富山英明さんといえば、ロス五輪の金メダリストであり、現在は日本レスリング協会の会長をされている方ですが、まずはどういった経緯で富山さんをテーマにドキュメンタリーを作ろうと思われたのか、制作までの経緯を教えてください。

藤森監督(以下、藤森) 僕はこれまでに短編映画などを作ったことがありますが、映画の制作には多くの撮影スタッフが必要になります。今回は自分がカメラを持って、ひとりでも撮影ができるドキュメンタリーを作るのはどうだろうかと思い立ち、題材を探していたときに父から富山さんの存在を教えてもらいました。

もともと父が富山さんと知り合いだったので、絶版になっていた富山さんの自叙伝『夢を喰う』をご本人から直にいただいたんです。初めてお会いしたとき、富山さんのまなざしがすごく強くて、すべてを見透かされそうな気がしたんのが印象的でした。

本を手にとってまず感じたのは、タイトルの強さと写真のビジュアルです。実際に読んでみると描写にリアリティがあり、富山さんが見ていた情景が頭の中に次々に浮かんでくるんです。レスリングの現役時代も、現役を退いてからも、これだけ一途に何かと向き合って生きることはなかなかできない。富山さん自身、絵になる人だと思いましたし、この人に勝るキャスティングはないだろうと思いました。

そこで、著者の富山さんがこうしてお元気なんだから、ぜひにと取材をお願いしました。

実は、富山さんが金メダルを取ったロサンゼルスオリンピックはちょうど僕の生まれ年でもあったので、なんだかそれも運命に感じたことも、興味を持った理由のひとつだったかもしれません。

―撮影が始まって、自叙伝の中の富山さんの印象は変わりましたか。

藤森:本を読んだときから、自分に吸収できるものがたくさんあるなと感じてはいたんです。実際に撮影が始まり、富山さんを知れば知るほど、その思いは加速していきました。

自叙伝『夢を喰う』に書かれている富山さんの夢は4つあります。体育の先生になること。オリンピックで金メダルを取ること。大学の同級生と結婚すること。自叙伝を書くこと。自叙伝では4つの夢を叶え、その後コーチ留学でアメリカに向かうところまで書かれていました。僕には単なるサクセスストーリーのようには感じなかった。富山さんの人生には「まさか」がたくさん起こって、運命に翻弄されつつもたくましく生き抜いている人間の姿が描かれている気がしました。

40年後の富山さんを撮影している最中も、夢を喰ってしまったことで結局背負わなければならなくなってしまった富山さんの宿命や孤独を僕は感じました。

でも、そもそも人生なんて、いろいろなことに翻弄されて、結果的に思ってもいない方向に進んでしまうものじゃないですか。誰しもその結果を自分に納得させて、そこからさらに新たな人生を歩み出していくんです。

撮影を開始した2016年は、僕にとってもプライベートでいろいろあった年でした。結婚したり、子供ができたり、恩師が亡くなった年でもありました。感情が動くことがいろいろと重なった年だったので、余計にそう感じたところもあるかもしれません。

もちろん最終的に映像作品として形にして誰かに届けばいいなと思いながらも、自分の中に得られるものが大きかったので、どこかで自分自身のために撮っているような気持ちにもなってカメラを回し続けました。

―この作品はどのくらいの時間をかけて撮影されたのでしょうか。

2016年いっぱい、数十日をかけて撮影をしたあとは、要所要所に合わせて撮影に入らせていただくというスタンスで撮っていきました。月単位、年単位、足かけ5年も撮り重ねていくと、富山さんの人生にもいろいろなことが起こります。撮れば撮るほど、単純にこの膨大な素材を自分が持っている、そのことに責任を感じるようになっていくんですよね。

アスリートのドキュメンタリーだし「テレビ番組にしてもらったほうがいいんじゃないか」という声もあったのですが、僕はこの作品は絶対に映画にして、映画館で公開したいって決めてました。

先日、知り合いのプロデューサーから「素材を撮りためても、形にならないものがたくさんある中、よくここまで仕上げたよ。それ自体、まずすごいよ」と言ってもらえて、ここまでやってきて良かったと思いました。

愛する人を亡くし、それでも前を向いて進む金メダリストの背中を映像におさめて、ようやく撮影を終えられた

―映画の中では、富山さんのお父様と奥様、2人のご葬儀のシーンも使われていますね。

藤森:人って、不幸は人に見られたくないものだと思うんです。僕も最初はカメラを持たずに、茨城で行われた富山さんのお父さんのお通夜に参列させていただきました。ただ、ドキュメンタリーとして富山さんを追いかけている以上は、撮るべきなのではないかと感じてしまって、東京に戻ってから緊張しながら富山さんに連絡したんです。「お葬式を撮影させていただけないか」と…。すると、富山さんは「兄貴に聞いてみる」と言ってくださり、お兄さんは二つ返事で「どうぞ記録してください」と言ってくださいました。

仏様にカメラを向けることに、ためらいの気持ちがなかったわけではないんですが、撮影しているうちに気持ちが和らいでいったのは、まさしく富山さんとご親族全員のおかげでした。「あいつ、なんで撮ってるんだ」というような雰囲気の方が誰一人おらず、「こんにちは、どうぞ撮ってください」という気持ちを感じました。

富山さんはもちろんのこと、富山さんのご家族がここまで僕を受け入れてくださったからこそ、なんとか映画にしたい。ただそんな思いでしたね。

―そこまで富山さんやご家族の心に入り込めたのはすごいと思いました。

藤森:ただ唯一、奥様が末期がんでつらい闘病をされているときだけは、僕には撮れませんでした。その部分を撮影すれば、インパクトの強い描写になるのかもしれないけれど、それは必要ないなと思いました。奥様は元気な姿で映画の中にいつまでも存在していてほしかった。

スキャンダラスだったり、ショッキングだったりする場面が人の興味を引き、みんなが見たくなるのはわかるのですが、僕自身はそういった面に興味はなくて。むしろ、人間が生き抜こうとしていく姿、生命力みたいなものを撮りたいんだと、そのとき再認識しました。

―ここまで富山さんのすべてに密着していると、撮影を終わるタイミングも難しかったのではないかと思います。

藤森:確かに難しかったです。この映画をどういう風に決着させるか、それはずっと考えていたのですが、奥様の一周忌の翌日に富山さんと二人で、富山さんの原点でもある茨城県の涸沼(ひぬま)に散歩に行き、湖畔に一人たたずむ富山さんを撮影したときに「ああ、これで撮影を終われる」って思いました。「結局、富山さんという人の人生は、これからもこうやって続いていくんだ。“夢を喰って”前に進んでいくんだ」と思って、腑に落ちたんです。僕自身、何があっても進み続ける富山さんを見て、自分自身もこういう生き方ができたらいいなと思うようになりました。

富山さんが一人でいるときの姿、後ろ姿に、富山さんのすべてが凝縮されている気がするので、その部分をしっかり見ていただきたいですね。

―被写体としての富山さんはどんな方でしたか。

藤森:生命力が強い人には多分、2タイプあると思っていて。ひとつは、会ったときに自分が吸われてしまうくらいのパワーがある人。そしてもうひとつは、自分の持っているパワーを人に与えようとしてくれる人。富山さんは後者だと思うんです。初めて会ったときから、全く緊張せずにお話をすることができました。

富山さんは誰に対しても人当たりのいい方で、みんなに等しく説明してくれるんです。だからこそ、この人の本質に迫るのはすごく難しいなと思っていました。

カメラを回し始めた最初の頃は、富山さんに質問をし、答えてもらうという形で撮影していたんですが、それだと富山さんの素顔や核心の部分にはたどり着けない気がしました。そこで、あるときからひたすらカメラを構えて、ただ富山さんの横にいる。観察する。そんなスタンスで撮影することにしたら、富山さんのすべてが撮影できていた。そんな感じでした。

―映画を撮り終わって、富山さんの反応はいかがでしたか。

藤森:「ありがとう」って言ってくれました。感謝してもらおうと思って撮っているわけではなかったんですが、それでも「ありがとう」と言ってもらえたのは嬉しかったです。

撮影中は、撮影者と被写体という関係性を考えると、仲良くなりすぎてもよくないと思っていて、距離感には気を使っていたのですが、頻繁に富山さんから犬の写真や海の動画が送られてきたりして、もう親戚のような関係になっていると思います。

人との出会いと別れを重ねて、長編ドキュメンタリーが完成。「人との距離感、没入感が君らしいね」

―藤森監督ご自身はどんな人生を歩んでこられたのでしょう。

藤森:大学は日芸(日本大学芸術学部)の演劇学科で学んでいたのですが、もともと映画が好きだったので、大学院では演劇ではなく映像芸術を専攻しました。留学生が多くて、フランスや中国やリトアニアからの留学生と一緒に交代で作品を撮影したのが、自分にとってはいい刺激になりました。

大学院卒業後、3年間、CM制作会社に勤めました。あるとき、15分くらいの長めの映像広告の制作で李相日監督と一緒にお仕事する機会に恵まれました。CMとは違う映像作品のつくり方が楽しくて、“やっぱり映画を作りたい”と思うようになったんです。その後、写真家の宮本敬文(けいぶん)さんと知り合い、「監督をやりたいならうちへ来い」と誘われ、制作会社を辞めてしまいました(笑)。

そこから李監督の『許されざる者』(2013)、『怒り』(2016)に助監督として参加したり、さまざまな映像作品に監督として携わったりしながら今に至ります。

―今回のドキュメンタリー制作について、周りの方からの反応はいかがでしたか。

藤森: 2016年に亡くなった敬文さんには、ドキュメンタリーを撮影し始めたことは伝えていました。「本当にお前が撮りたくてやっているんだな」と何度も念押しされたのを覚えています。ドキュメンタリーには、この先どうなっていくのか誰も分からない中で、ただ撮り続けるしかないという独特の苦労があります。敬文さん自身もドキュメンタリーを撮ったことがあるので、その苦労を知っていたんだと思います。

李さんには、出来上がった『夢を喰う』を観ていただいて、「被写体との距離感や撮影のしかた、作品のつくり方がフジモンらしいね」と言ってくれました。「最初から最後まで自分の気が済むように情報を収集したり、人と交流したり。これはお前の特性だよな。それが制作にかかった年月でもあるし、映像に表れていて納得感があった」と。

―今後の活動についても教えてください。

藤森:『夢を喰う』をまだまだたくさんの人に届けることと、僕の住む静岡県三島市で学生とともに映画制作をした『川面に聴く』という作品を広めるのが直近の活動になります。今後も映画制作は進めていくつもりです。ただそれが、ドキュメンタリーになるのか、劇映画になるのか、商業的な作品になるのか…。自分に何が向いているのかわからないままですが、形にこだわらず、とにかく作り続けていきたいなと思います。

藤森圭太郎(ふじもり けいたろう)プロフィール

1985年 静岡県三島市生まれ。日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修了。2016年に短編映画『灯火』を監督、後に『MIRRORLIAR FILMS plus』で劇場公開される。主な監督作品にSF短編『diff』(19)、図夢歌舞伎『弥次喜多』(20/共同監督)、地元三島市の映画制作ワークショップで制作未経験の学生たちと作り上げた『しゃぎり』(22/ Short Shorts Film Festival & Asia 2023ジャパン部門、23rd Nippon Connection Film Festival Nippon Visions部門) など。本作『夢を喰う THE WRESTLER』は自身初の長編ドキュメンタリー作品となる。

●X 映画『夢を喰う THE WRESTLER』 @yumewokurau

映画『夢を喰う THE WRESTLER』公式サイト

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