日本のファンタジー小説の原点といわれる、滝沢馬琴著『南総里見八犬伝』が、この秋、役所広司を主役に据え、実写映画として全国公開されます。VFXを駆使した『南総里見八犬伝』の【虚】のパートと、滝沢馬琴の壮絶な半生を描く【実】のパートが交錯するエンターテイメント超大作(原作・山田風太郎著『八犬伝』)。今回は、この話題作『八犬伝』の曽利文彦監督(監督・脚本)と、劇中で歌舞伎役者・三代目尾上菊五郎を演じた尾上右近さんに、映画の見どころや撮影秘話をお伺いしました。
映画『八犬伝』作品紹介
江戸時代の人気作家・滝沢馬琴(役所広司)は、友人の絵師・葛飾北斎(内野聖陽)に、構想中の物語『八犬伝』を語り始める。里見家にかけられた呪いを解くため、八つの珠を持つ八人の剣士が、運命に導かれるように集結し、壮絶な戦いに挑むという壮大にして奇怪な物語だ。北斎はたちまち夢中になる。そして、続きが気になり、度々訪れては馬琴の創作の刺激となる下絵を描いた。北斎も魅了した物語は人気を集め、異例の長期連載へと突入していくが、クライマックスに差しかかった時、馬琴は失明してしまう。完成が絶望的な中、義理の娘(黒木華)から「手伝わせてほしい」と申し出を受ける──。
失明してもなお28年の歳月をかけて書き続けた馬琴が『八犬伝』に込めた想いとはー。
2024年10月25日、全国ロードショー。
(※映画『八犬伝』公式サイトより引用)
『八犬伝』は監督の少年時代の思い出の作品。映画化まで10年以上企画を温めた
―曽利監督にとって、『八犬伝』の映画化には並々ならぬ意欲があったとお伺いしています。
曽利監督(以下、曽利):実は子どものころ、テレビで連続人形劇『新八犬伝』(NHK)に夢中になっていたんです。人形劇の時間になると、公園から子どもがいなくなるんじゃないかといわれたほどの大人気番組で、大人になってもずっと頭から離れませんでした。
滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は本当に魅力的な作品で、これまでもいろいろな方が創作にチャレンジされてきました。
角川映画『南総里見八犬伝』(1983年、深作欣二監督作品。出演・薬師丸ひろ子、真田広之ほか)のアレンジもとても面白かったですが、一映画人としては、もう少し原作に寄った作品が作りたいと思っていたところ、10年以上前に山田風太郎先生の小説『八犬伝』を知りました。
『南総里見八犬伝』の物語を織り交ぜつつ、作者である滝沢馬琴の半生も描かれていた『八犬伝』。山田先生の小説には、自分のやりたいことが全部詰まっていた。
「滝沢馬琴を主人公にしたこの小説なら、映画化すれば絶対に当たる」と確信はあったものの、なかなか企画は実現せず、映画化に向けてようやく本格的に動き出せたのは5年前。
映画化できるなら、滝沢馬琴役は役所広司さんにやってもらいたい。相手役の葛飾北斎は内野聖陽さんにお願いしたい。この2人に出演を快諾していただけたことで、一気に弾みがつきました。
中村獅童と尾上右近、今をときめく2人の歌舞伎役者の映画共演
―作品の中盤に歌舞伎のシーンがあります。映画に中村獅童さんと尾上右近さんを起用できた理由を教えていただけますか。
曽利:そもそも歌舞伎のシーンを、本物の歌舞伎役者さんにやっていただけるものなのかもわからなかったんです。有名な歌舞伎の2演目『東海道四谷怪談』と『仮名手本忠臣蔵』、しかもその一部だけを切り取って演じてください、なんて身勝手なお願いをしていいのか恐れ多くて。
中村獅童さんは昔、映画『ピンポン』でご一緒して以来、仲良くさせていただいているので、まずは獅童さんに相談しました。
「歌舞伎役者さんではない俳優さんに、劇中で歌舞伎をやってもらう場合、稽古をつけてもらえますか」と聞いたところ、なんと獅童さんが自ら映画に出演していただけるということになって、さらに 右近さんにも引き受けていただけて。
「え、右近さんにも出演してもらえるんですか?本当ですか?」みたいな状態で、ただただビックリしました。まさかそこまで望めるとは考えていなかったんです。
獅童さんはすでに歌舞伎界のエース級、右近さんは歌舞伎界の大切なホープであり、歌舞伎の未来を背負って立つ役者さん。獅童さんと右近さんが出演してくれるとなって、 本当に“夢が叶った”と感無量でした。
尾上右近さん(以下、右近):獅童さんから映画の話をお聞きし、ほかに出演される役者さんも錚々たる面々とのこと。
ましてや僕がオファーされた役どころは、僕の先祖・三代目尾上菊五郎の役で、さらに『東海道四谷怪談』の“お岩さま”と『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助を演じさせていただけるのだと。
歌舞伎では、女形(おんながた・女の役をする男の役者)と立役(たちやく・男役のこと)、つまり男女両方の役を演じることを“兼ねる”という言い方をするのですが、三代目尾上菊五郎は、この“兼ねる”の称号を与えられた人なんです。
さらに、歌舞伎のエンタメ性の効いた面白い演出、いわゆる“ケレン味”を作った人でもある。僕自身、昔から三代目尾上菊五郎みたいな役者になりたいと思っていたんです。
その役を与えていただけるなんて、これはお断りする理由はないな、と。
―そんな思いがあったんですね。
右近:あとは、獅童さんと共演できるということも魅力でした。
歌舞伎界には、自ら新たな道を切り拓いている俳優さんがたくさんいらっしゃるんですが、そんな中でも獅童さんの存在ってすごく大きいんです。
「待ってるだけではなく、自分から動くこと」、「自分がやりたいことに対して、強い意志を持つこと」の大切さを普段から教えてもらっている、あの獅童さんと共演できる。
さらに、獅童さんの役者人生のターニングポイントだといわれている映画『ピンポン』の曽利監督とご一緒できる。
曽利監督の作品に獅童さんが出る瞬間をこの目で見られる。そう思ったら、もう「お受けする」というより、「ぜひ僕にやらせてください」の気持ちでした。
居合わせた誰もが心を震わせた、グリーンバックでの圧巻の芝居
―本格的な芝居小屋での歌舞伎シーンは映画の中盤に登場しますが、どのように撮影されたのでしょう。
右近:グリーンバックの中、小道具以外がすべて緑の世界で、「ここがふすまになっています」「こういう感覚で道具を使ってください」と説明されて演じる。不思議な空間だなと思いました。
その映像を背景にはめ込んで作業されているモニターを見させていただいてさらにびっくりして…。
―え!あのシーンは、獅童さんも右近さんも合成だったんですか?
右近:そうなんです。え、監督、これ内緒でしたか?(笑)
曽利:いえいえ、言っていただいて大丈夫です(笑)。
―では、歌舞伎のシーンで歌舞伎を観劇されていた役所さんと内野さんは、実際は撮影現場にいらっしゃらなかったと。
曽利:そうなんです。役所さんたちの観劇シーンは、四国の金丸座という芝居小屋に行って撮影しました。金丸座は現存する日本最古の芝居小屋で、映画に登場する奈落(舞台や花道の床下の総称)も本物なんですよ。
一方、獅童さんと右近さんはスタジオでの撮影でした。ほぼ小道具しかないグリーンバックの中で演じていただいたんですが、そのお芝居がもう本当にすごかった。
背景は緑一色なのに、おふたりが演じられた瞬間、周りに歌舞伎の背景が浮かんでくるようで。「本物の歌舞伎役者さんじゃないと、こんな演技はできない」と感じるほどでした。
獅童さんの芝居は『ピンポン』から知っているし、彼の歌舞伎も見たことはあるものの、スタジオで間近でお芝居を見ていると、もうゾゾゾッと鳥肌が立つくらいの凄みがあった。
素晴らしい芝居には、背景なんて関係ないんだなって、つくづくわかりました。その場にいたスタッフも皆、言葉を失っていました。
右近:グリーンバックで演じた僕たちにしてみたら、映像上で江戸時代の中村座(芝居小屋)にタイムマシンで飛ばしてもらったような、不思議な感覚でした(笑)。
歌舞伎役者、誰もが愛する“お岩さま”。「先祖と同じ役を演じられて感無量」
―右近さんが『東海道四谷怪談』のお岩役を演じられたのは、この映画が初めてだったそうですね。
右近:そうなんです。いろんな役者さんに「好きなお役は何ですか」と聞くと、誰もが「『東海道四谷怪談』のお岩さま」だとおっしゃるほど、“お岩さま”は歌舞伎役者にとって魅力的なお役。「右近くんもやるといいよ」と、よく勧められていました。
僕もいつか“お岩さま”を演じてみたいと思っていたので、撮影のために扮装したとき、本当に感慨深くて。先祖が“お岩さま”を演じる姿が浮世絵にも残っているので、先祖と同じ役をやらせていただけて、胸にグッとくるものがありました。
―私たちが普段“お岩さん”というところ、右近さんは“お岩さま”と呼ばれるんですね。
右近:そうですね。“お岩さま”、“四谷さま”って呼びますね。
『東海道四谷怪談』は、鶴屋南北が3代目尾上菊五郎のために書き下ろした作品です。“お岩さま”は実在の人物ではあるものの、実は夫婦円満で、夫に殺された“お岩さま”が幽霊になって化けて出るという話は事実ではないという説もあるんです。
実際に起きた事件に“お岩さま”を混ぜているので、事実をゆがめたことで実在の“お岩さま”はきっと怒っているはずだという人もいます。
ですが、見方を変えれば、芝居として脚光を浴びることは、きっと“お岩さま”の鎮魂につながる、言い換えれば奉納という意味合いもあるんですよね。
“祟りがある”とされるほどのパワーがあるなら、味方に付ければきっと興行を後押ししてくれる。そういう思想につながる演目でもあるので、“お岩さま”を“お岩さん”とか“お岩”って呼ぶ気にはなれないんです。
―ちなみに、右近さんは今年6月に博多座で『東海道四谷怪談』を演じられていますね。
右近:映画で“お岩さま”を演じさせていただいたことがいい刺激になり、僕が毎年やっている自主公演で『東海道四谷怪談』をやろうと密かに計画していたのですが、松竹から『六月博多座大歌舞伎』の演目にしませんかというお話をいただいたんです。
「え、この演目をやりたいと、誰にも言っていなかったのに」と不思議なご縁を感じ、ぜひにと博多座で演じることにしました。
曽利:僕も博多座に行ってお芝居を見せていただいたんですが、すごかったですよ。
撮影のために『東海道四谷怪談』をある程度勉強はしたものの、実際に見たのはお芝居の一部分。演目を通しでは見たことがなかったので、わくわくして見にいったのですが、ただただ、素晴らしかったです。
映画のあの場面は、実際にフルで見たらこんなにすごかったんだと実感しましたし、心の底から感動しました。
右近:そう言っていただけて本当に嬉しいです(笑)。
これからの歌舞伎界を背負って立つ右近に、監督からのエール
―監督と演者として、それぞれリスペクトされている関係、とても素敵に感じます。
曽利:今回、映画で歌舞伎界を代表する若手のホープの右近さんとご一緒できて、なぜ右近さんがこんなにも注目を集めているのか、ものすごくよくわかりました。そして今年の博多座での右近さんのお岩さんを見て、確信につながった。
右近さんがいるなら、これからの歌舞伎界、大丈夫だなと。
これからの時代、若い人に歌舞伎を見てもらいたいですし、この文化を右近さんに背負っていってほしいというのが自分の思いです。
右近さんに『八犬伝』に出ていただいて本当によかった。なんかすごい“大当たりのクジ”を引いたみたいな感じですよ。当初は出演していただけるとは思っていなかったほどの人。映画に出ていただけて、すごく幸せです(笑)。
右近:ありがとうございます(笑)。
歌舞伎を見たことがない大多数の方は、「歌舞伎を見るきっかけがない」とおっしゃる。だから僕は、そのきっかけをたくさん作っていきたいと思っているし、今回の映画出演もそのひとつだと思っています。
今回のようなお仕事は、自分がいくら望んでもなかなかできないことですから、そういう巡り合わせだったり、タイミングというのは大事にしたい。改めてそう思いました。
映画の中で、歌舞伎の中での大事なお役といいますか、自分のルーツにつながるようなお役をやらせていただいてすごく光栄でした。
なにより、仕上がった映画全体を見せていただいて、本当にこの作品に出演させてもらってよかったな、と。
VFXを駆使したエンターテイメントの世界をすごく楽しく拝見しましたし、映画からエネルギーもいただきましたし…。
28年かけて『南総里見八犬伝』を書き上げた滝沢馬琴の一生、“継続は力なり”という言葉では言い尽くせない馬琴の苦悩についても、思うところがありました。
なによりも監督、また僕を映画に出してください(笑)。
曽利:こちらこそ、ぜひまたよろしくお願いします(笑)!
曽利文彦(そり ふみひこ)監督プロフィール
1964年5月17日生まれ、大阪府出身。USC(南カリフォルニア大学大学院)映画学科在学中に、デジタルドメイン社でCGアニメーターとして『タイタニック』(97)のVFXに携わる。帰国後、『ピンポン』(02)で映画監督デビュー。その後も、『ICHI』(08)、『あしたのジョー』(11)、『鋼の錬金術師』(17)、『鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー/最後の錬成』(22)など話題作を数多く発表する。
●映画『八犬伝』公式X @hakkenden_movie
●映画『八犬伝』公式Instagram @hakkenden_movie
尾上右近(おのえ うこん)プロフィール
1992年5月28日生まれ、東京都出身。99年、7歳で歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で初舞台。『燃えよ剣』(21)で映画初出演を果たし、同作で第45回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。歌舞伎のみならず、映画やテレビドラマの映像作品にも活躍の幅を広げている。主な出演作には、NHK大河ドラマ「青天を衝け」(21)、『ヘルドッグス』(22)、『わたしの幸せな結婚』(23)、『身代わり忠臣蔵』(24)、『十一人の賊軍』(24)などがある。
●X 尾上右近/清元栄寿太夫 @UKON_KENx2
●Instagram 尾上右近 @ukon_onoe.eiju_dayu.kenx2/
尾上右近さん:
スタイリスト/三島和也(Tatanca)
ヘアメイク/白石義人(ima.)
文:小澤彩