平凡な毎日に、突如として現れる亀裂。歯車が狂いだす瞬間の、人の心のざわめきをコメディタッチで描いた映画『夢の在処 ひとびとのトリロジー』が、6月に東京で公開されます。
本村壮平監督、脚本、編集によるインディペンデント映画で、監督にとっては初の劇場公開作品です。
舞台俳優出身の彼が描くのは「平凡な人間の視座からの生の葛藤」。公開直前の今、作品の見どころや映画への思いを伺いました。
這いつくばって生きる平凡な人々の苦悩や人生を、あえて明るく描きたい
映画『夢の在処 ひとびとのトリロジー』作品紹介
監督は演劇地下の泥田を泳いできた本村壮平。やっと出てきた晴れの舞台で彼が描く『夢』は、きらびやかとは無縁の世界! 二十歳になるまでキスがしたい……恋も家族も守りたい……すべてを捨てて理想郷で暮らしたい……。そんなおかしくも、ヒューマニティーあふれる劇中のひとびとが、欲と夢想の狭間を行き来する!トリロジーでありながら長編としての味わいが続く、本村壮平 初の劇場公開作品がいまココに!2024年6月1~7日に池袋シネマ・ロサにて。
引用元:『夢の在処 ひとびとのトリロジー』公式サイト
―早速、映画を拝見しました。一度もキスをしたことのない20歳直前の青年。貧乏ながら芝居に賭ける大人たちのドタバタ劇。本名が“人魚”という名前の精神科医の悲哀…。コメディタッチのストーリーに思わず吹きながらも、描かれるテーマは深くて、いろいろと考えさせられました。
本村監督(以下、本村):荒唐無稽なストーリーの裏に流れる人の葛藤やジレンマ、本当の苦しみ…。そういったものが感じ取っていただけたらいいなと思っていますし、そこがこの映画の見どころです。
描くエピソードのひとつひとつは、見ている人からすれば実にくだらないなということばかり。でも、問題に直面している当事者にとっては、それらはとても大事な芯や核心であるわけで…。
苦しいけれど表に出せない。泣きたいのに泣けない、言いたいのに言えない。人間の苦しみってそこだと思うんですね。それを説明するのではなく、僕は映像で見せたい。
笑えるエピソードの集合体がシーンになり、シークエンスになり、1本の作品になる。映画は三つに分かれてはいるけれど、最後まで見ていただくと、ひとつ、全体を通した大きなテーマに気づけると思います。まさに“トリロジー(三部作)”なんです。
―シュールな3つのエピソードの中に、引きこまれてしまうような中毒性を感じました。
本村:もともと、少し鬱屈した現代の世の中にスポットを当てて映像化したいという思いが私の中にあります。
現代は、バブルの時のようにタワマンに象徴されるような華やかな世界がある一方で、日の当たらない場所で暮らす平凡な人々がいる。昔の日本でいうなら、井戸の周りに集って暮らす市井の人たち、あるいはその井戸の周りにすら住めないような人たちの視座で、社会を描きたいんです。
モチーフが暗い分、映像も暗めになりがちなんですが、決して暗くはしたくないので、コメディでくるんで見せています。
個性的な登場人物自身の苦しさ、足にからんだ鎖を表現しようとすると、どうしても上から目線で描きそうになりますが、それは僕の本意ではない。
普通の人生の中にも、楽しさ、笑える瞬間があり、滑稽な部分や人間としてのおかしみ、みたいなものもある。それがある種、彼らとって、息をつける時間でもある。そんな世界は、内気で人とうまく交流できなかった小さなころの僕の視座から見えていた世界なのかもしれません。
映画館という暗い箱の中で、自分と違う人生を味わってもらいたい
―ユニークな脚本は、どうやって出来上がるのですか。
本村:僕はもっぱら、メモを使っています。暇なとき、音楽を聴いてくつろいでいるときに、“そういえば今日こんなことがあったな”ということを小さなメモ用紙に1~2行で書き、それをポンポン、机の引き出しに入れておくんです。
脚本を書くタイミングで、そのたくさんのメモを取捨選択しながら机の上に並べてグルーピングし、ストーリーの構想を練っていきます。実はこれ、ウディ・アレン監督のやり方で、飽き性の僕にも続けられるなと真似させてもらっているんですよ。
―動画の配信サービスが人気で、映画を見る人がだんだん減ってきている時代に、あえて“映画”という表現方法にこだわっている理由とは。
本村:僕自身、映画、そして映画館というものが好きだから、でしょうね。
映画って、ある意味“強制”だと思うんです。映画館に“行かなければならない”し、片手間で見られないし、自分の時間だって奪われる。その一方で、映画館という箱の中で作品を見るのは、ある種孤立した空間の中に自分を置くことだとも思っていて、その時間こそが尊い。
スクリーンに映し出される登場人物の苦悩や葛藤に、自分ひとりで向き合うのは、映画ならではの醍醐味だと思うんです。
映画を見終わって重い扉を開け、ロビーからの光を浴びる瞬間に「ああ、今まで違う人生を味わっていたんだな」と感じる。自分の時間軸とは別の時間軸がそこには存在していて、まるで自分が別の人生を生きたような感覚に陥る。それは、自分自身の存在を見つめ直すことにほかならないんじゃないかと思うんですよね。そういう体験や経験ができることがすごく楽しいし、映画の魅力じゃないかと。
―今回の作品には、監督の実の娘さんも出演されているのだとか。演技は未経験とのことですが、とてもいい味を出していました。
本村:日々なんとなく子どもとしての時間を送っている私の娘ですが、今回、自分とは別の人間の人生を演じることで、自分自身を客観的に見ることができたのではないかと思うんです。
よく、役者の楽しみは“別の人生を生きられること”という人がいますが、僕はそんなことはないと思っていて。他人を演じることで、逆に自分自身を見つめ直すことができる気がしているんです。彼女はまだ10歳なので、どこまで体感できているかわからないのですが。
―監督は、この作品をどんな人に見てもらいたいですか。
本村:僕の初の劇場公開作品なので、もちろんいろいろな方に見ていただきたいですが、心に詰まりがあり、人生があまりうまくいっていないと感じている人、どうしたらいいか分からないと思っている人に見ていただけるといいなと思っています。
悩みや苦しみばかりのトリロジーなのに、なぜかその先の幸福感が見え隠れする。この映画を見終わって、そんな人たちの心が少しでも楽になってくれたら監督としては本望です。
大学を1ヶ月で中退して役者の世界に飛び込む。のちに映画監督に
―映画を見ていて、この不思議な作品を作った監督は、どんな子ども時代を送られたのだろうとふと感じました。
本村:僕は、小中学生まで北海道の根室で育ちました。親はサケ・マスの網元をしていたんですよね。昭和のドラマに出て来そうな北の漁師そのまんまの荒々しい雰囲気で。あの頃の根室はサケ・マス漁が盛んで、町全体に活気がありました。
映画を見るようになったのは母の影響です。ビートルズ好きだった母に映画館に連れて行ってもらい、夢中になり、映画館がつぶれた後はレンタルビデオショップで映画を借りてきました。
僕が役者をやりたいと思ったきっかけになった作品は、映画『ゴッドファーザー』、そしてジュディ・ガーランドの『オズの魔法使』でした。
中学、高校はバンド活動に明け暮れていて、海辺の番屋をスタジオ代わりにして、ドラムを叩いていました。
進路を考える時期になると、父は「漁師になるか東京の大学に行くか、どちらかにしろ」と言いましたが、漠然と役者に興味があった僕は、「東京にさえ行けば、役者の道が開けるかもしれない」と思ったので、根室を出て札幌日本大学高校の寮に入り、そのまま内部進学で東京の日本大学に進みました。
中学時代の恩師は「役者になりたいなら、日藝(日本大学芸術学部)という道もあるぞ」と言ってくれていましたが、いざ大学進学となると、日藝は自分には敷居が高い気がして進めず…。
そのとき漁師をやっている親の顔が頭に浮かび、親孝行になればと、日大農獣医学部・食品工学科に進学しました。それなのに、入学から1か月後のGWに退学してしまって(苦笑)。
―大学入学直後に退学だなんて思い切りましたね。大学に行きつつ役者の道も、でもよかった気もしますが…(笑)。
本村:勉強の片手間に演技の勉強をするのでは、結局何もつかめない気がしたんですよ。当時はネットもなく、得られる情報も限られていましたし、学業と役者の道と、何かしら中途半端なことをやっていたらダメだという思いが強くなって、「苦しくても役者1本で行こう」と。
そこから2年間、バイトを掛け持ちしながら養成所に通い続けました。養成所の卒業公演を見に来ていた、NHKの元チーフディレクターだった黛(まゆずみ)りんたろうさんに「ドラマに出ませんか」と声をかけていただいたことが転機になりましたね。
朝ドラ『すずらん』(NHK・1999年)に出演でき、黛さんには事務所まで紹介していただきました。役者として大先輩の橋爪功さん、石倉三郎さんにもずいぶんかわいがっていただきました。
―ご両親は、せっかく入った大学を1ヶ月で辞めたことに何もおっしゃらなかったんですか。
本村:大学をやめたと報告したら、当然ながら父に激怒され、「15年は家に帰ってくるな」と勘当同然の言葉を投げつけられました。僕も意地になって、それから15年、帰省しなかった。
舞台を皮切りに泥臭い俳優人生を歩みはじめ、そこから数々のドラマに出演しながら、いろいろな人とのご縁をいただき、仕事の幅が広がっていきました。
そのうち脚本を書いたり、キャスティングをしたり、企画公演をしたりとなんでもやるようになり、“1人複合商社”みたいな感じですべてをこなすようになり、映画を撮り始めて今に至ります。
父とのわだかまりは、結婚してようやく解けました。15年ぶりに空港で父に会ったとき、白髪になって頬がこけていて、苦労かけちゃったんだなと思ったら涙があふれそうになりました。啖呵切って北海道を飛び出したわけだから、泣きはしなかったですけれどね(笑)。
50代から70代になるまでの15年間の人の変化って、すごく大きいんです。父には、今回の作品も見てもらいたいと思っています。
―今後の活動の展望を教えていただけますか。
本村:役者としての活動は、もちろん今後も続けていきます。人間味のある役がやれたらと思っています。映画監督としては…。実は次回作の脚本も書き始めていて、今度は完全な1本の長編映画を作る予定です。
周りの仲間に助けてもらいながらここまで映画を作り続けてこられました。いずれは商業映画を撮って名をはせ、その知名度でまたインディペンデント映画の世界に戻ってきたい。それが今の目標です。
本村 壮平(もとむら そうへい)プロフィール
1976年11月4日生まれ、北海道出身。俳優、映画監督。
演劇ユニットを主宰し、作・演出を行いながら、舞台俳優として活躍。俳優としての出演作は連続テレビ小説『すずらん』(NHK・1999年)、『なぜ君は絶望と闘えたのか』(WOWOW ・2010年) 、映画『死んだふり」(2020年・ASIAN CINEMATOGRAPHY AWARDS 8月期・最優秀アジア短編映画賞受賞作)、舞台『城山羊の会』公演ほか。
監督としては、映画『パラダイス・ジョージ』(2017・脚本・監督・編集・出演。第4回新人監督映画祭 長編コンペティション部門/準グランプリ作品)、『サニースキャット』(2018年・第20回ハンブルク日本映画祭 正式上映作品)など、映画制作に力を注ぐ。脚本・監督・編集・出演作多数。国内外で数々の受賞経験を持つ。
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