瀧井孝作生誕130年『初めての女』小平哲兵監督にインタビュー まだ何者でもない青年が経験する“はじまりの物語”

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俳人・瀧井孝作の生誕130年の今年、6月22日に渋谷・ユーロスペースで公開される映画『初めての女』。

自身の劇場デビューとなる同作の監督・小平哲兵(こひら てっぺい)さんに、お話を伺いました。

映画『初めての女』あらすじ

明治末期。北アルプスの山々に囲まれた地で育った青年・瀧井孝作は、父親の事業が失敗し丁稚奉公に出され、窮屈な日々を過ごしていた。幼い頃に兄や母も亡くし、寂しい孝作の拠り所は俳句に没頭することだった。

そんなある日、西洋料理屋の女中・玉と出会う。
美しい年上の女性の魅力に孝作は惹かれていく。
“堤長き 並松月夜 涼み行く”
孝作は、心からの玉への気持ちを句にしたためた。

玉との距離が縮まったと思っていた孝作だったが、次第に玉の言動や噂から不信が募っていた。
そんな折、玉と訪れた店で三味線芸者の鶴昇(加藤菊)と出会う。鶴昇の端麗でどこか悲しげな姿に心奪われ、玉が孝作の元から去った後、鶴昇にのめり込み始める。
今までにない感情に翻弄される孝作は、次第に俳句からも遠ざかってしまう———

引用元:映画「初めての女」公式HP

自身の劇場デビュー作 芝居演出にかける想いとは

ー監督の劇場デビュー作となる『初めての女』。まずは簡単な作品紹介をお願いします。

小平哲兵監督(以下、小平監督):瀧井孝作さんという俳人が晩年に自身の青年期を振り返って、忘れられない人たちとの出会い、成長を描いた物語です。

ーなぜ瀧井孝作さんを作品に取り上げようと思ったのですか。

小平監督:僕が演出した舞台『二人芝居 ふぁいと!~大原騒動~』を見に来てくれた岐阜県の高山市文化協会の方から、“高山市にちなんだ作品を作ってほしい”という企画のお話をいただいたことが始まりです。

それで何を取り上げようかなって考えて、高山の公文書館で色々と高山に関する本を調べていたときに、瀧井幸作さんという俳人に出会って。

瀧井孝作さんの写真を見たときに、なんていうんでしょう…なぜかわからないけど“この人の作品読みたいな”って思って。

手に取ったのが短編集の『俳人仲間』っていう作品でして、それを読んでいるとその一編に「初めての女」(日本文学大賞受賞)っていうのがありました。

瀧井孝作さんが70歳を過ぎたあたりに書いた作品なんですが、半世紀以上前の話なのにすごく細かく、昨日のことのように書いてあるんです。

「あのとき風があんな風に吹いていて」「女の人の襦袢(じゅばん)の色は…」「月はこんな風に欠けていて」みたいな。

 “歴史に名を残すような人もそういう時期があって、そういうことが人生の豊かさなのかな”って思ったときに、この人の作品を映画にしたいなって思ったんです。

瀧井孝作(たきい こうさく):日本の小説家・俳人であり、俳号は折柴(せっさい)。明治27年、岐阜で生まれ。母親が12歳のときに病没し、高山の魚問屋に丁稚奉公し、隣家の文学青年に俳句を学んだ。その後、高山を訪れた河東碧梧桐に俳句の指導を受け、大正3年に上京。小説を芥川龍之介、志賀直哉に師事した。

ー高山市の偉人を取り上げるにあたって、歴史もかなり調べたとか。撮影も高山市でされたのですよね。

小平監督:もちろん歴史はすごく調べました。もともと歴史が好きっていうのもありますし。

撮影地も全てではないのですが、高山市で行いました。高山市文化協会が許可を取ってくださって、古い街並みや施設も使わせていただきました。

ーキャスティングはほぼオーディションで行ったとのことですが、決め手はどういうところにあったのでしょうか。

小平監督:こういう言い方がいいのかはわかりませんが、“この人でダメなら自分が悪かったんだ”と思えるような方をキャスティングさせていただきました。

ー役者の皆さんとはどのように接していたのですか。

小平監督:脚本をまず読んでもらって、撮影に入る1週間前くらいに役者さんに原作の「初めての女」を読んでもらいました。

ーなるほど、先に脚本を読んでもらうんですね。

小平監督:脚本で制作側が何を伝えようとしているのかっていうのをしっかりつかんでもらってから、原作を読んで知識を深めてもらったという感じです。

原作を渡すタイミングも、脚本の理解度や芝居としての身体表現の出来具合に合わせて、人それぞれ変えていました。

ひとりひとりの役者さんのことをかなり見ていらっしゃったんですね。役者さんには細かく指導されるのですか?

小平監督:いえ、私が細かい具体的な指示をすることはありません。

役になる過程を“遠回り”してもらいます。言い換えれば、脚本を読み込んで、そこに自身の解釈、答えを見つけて役に取り入れてもらいます。

役をつかむためにどうしても合理的にやろうとしてしまうものですから、僕から細かい指導をするのではなくて、とにかく質問を投げるんです。

僕がやってほしいと思うことを伝えて、その通りにやってもらうのはプロの役者さんなので簡単にできると思うのですが、それだとその人じゃなくても良くなってしまうので。

役者自身の考えで演技してもらった方が、映像に映ったときの出来上がりがすごくいいんですよ。

僕の想像を超えてもらいたいんです。

もし一回演技をしてもらって、ちょっと違うなという場合には?

小平監督:まずなぜそうしたのか理由を聞いて、否定せず、役者がその役になりきるまで、何回も何回もやってもらいます。

時間と心を削りながら、真摯に役者さんと取り組んでいかれたのですね。

小平監督:撮影に入る前もそれぞれの役者さんと何度も役について話したり、その人自身の話を聞いたりしていました。

すごいですよね、どうやって信頼関係を築いていくのですか。

小平監督:僕、実家がカニ漁をやっていて、僕自身もカニ漁師やってたんですけど、カニをプレゼントして心の扉を開けて聞くんです…。

まさかのカニ!!(笑)。

小平監督:ちょっとふざけすぎましたけど、親身になってお互いにちゃんと腹を割って話せるように、僕のことも話すし、相手のことも話してもらうという感じです。

とにかく僕は映画の演出のなかでも、芝居演出が特に好きなので。

どういうところが好きなのでしょうか。

小平監督:もちろんカメラ演出も、音楽演出もいいと思うんですけど、僕は芝居演出に一番可能性があると、勝手に思っているんです。

一番僕の予想を超えてくれるというか、思い通りにいかないところが好きです。

そうすると作品自体がとんでもないことにはならないのですか?

小平監督:脚本準備だったり、役者さんとの話し合いの時間をかなりとっていて、役者の皆さんもそれに応えてくれるので破綻したりすることはないです。

僕自身も調べたり、勉強したり、脚本も1万回くらいは読んで、役者さんにもたくさん読んでもらって意見を共有し合いました。

監督の情熱に応える俳優陣のエピソード 公開への意気込み

瀧井孝作役の髙橋雄祐さんとのエピソードをうかがえますか。

瀧井孝作役/髙橋雄祐(たかはし ゆうすけ)さん

小平監督:髙橋さんについて印象に残ったことは色々とありますが、孝作と父・新三郎とのシーンが思い出深いです。それを撮ると後は孝作のラストシーンの雪山を残すのみでしたから、高山の街中で撮影するのはあそこが最後でした。

このシーンを撮り終えて、私は“この場所ともお別れだなぁ”とその場から動けずにいると、髙橋さんもやって来て、その地に対して「ありがとうございました」と座って手をついて感謝していたんです。

その時に、同じ気持ちになってくれたんだと、とても有難い思いになり幸せでした。髙橋さんには本当に一所懸命にやっていただきました。

玉役の芋生悠さん、菊役の三輪晴香さんとの印象的なエピソードがあれば教えてください。

玉役/芋生悠(いもう はるか)さん

小平監督:芋生さんは、親しみやすさがあって温かみを感じるとてもいい人です。

芋生さんについて一番印象に残ったのは、玉という人を演じていく上で必要となる、ご自身に起こった様々なことや玉の内面について、役が決まってからお互いにじっくり話し合ったことですね。

それを撮影前に30分から1時間程度確認するように再度話し合いました。

だからこそ、玉と孝作の別れのシーンでは、彼女自身の忘れられない人への気持ちも表れて、印象深いシーンになっていたと思います。芋生さんも、彼女なりのやり方や視点で真摯に玉の人生を全うしてくださいました。

鶴昇・菊役/三輪晴香(みわ はるか)さん

小平監督:三輪さんは、都会的で端正な顔立ちですが性格はどこか牧歌的で、何より根性のある人です。三輪さんの一番印象に残っているのは、孝作と鶴昇・菊の別れのラストシーンです。

彼女の他のシーンは何度も繰り返し稽古をしましたが、このシーンだけは稽古もリハーサルも敢えてしませんでした。

それは、これまでにやってきたシーンの積み重ねがこの別れのシーンを作り上げるはずだと三輪さんとも話し合い、確信していたからです。

本当は僕はドキドキしていましたが、三輪さんはしっかりとやりきってくれました。

監督が一番好きなシーンはどのシーンでしょうか。

小平監督:石原久さん演じる老年期孝作が、最後の雪山で目を閉じて開けるシーンです。

その雪山での撮影のときも、石原さんの車で連れて行ってもらったんですけど、車の中でずっと「ベイビーメタル」とかを流しているような面白いおじいさんです。

おじいさんなんですけど、オーディションのときも応募してくれた理由が「まだまだお芝居上手くなりたいから」って言っていて、“きっとこの人なら役に情熱をもって臨んでくれるだろう”って思って、石原さんとも「孝作がなんでこれを書いたと思うか」とか、たくさん話しました。

老年期孝作役/石原久(いしはら ひさし)さん
※石原久さん:闘病中に『初めての女』に出演。活躍を惜しまれながら、2024年に逝去。

お芝居への情熱がある方だったのですね。

小平監督:石原さん、老年期孝作のナレーションがなかなかうまくいかず、予算の関係で防音施設も借りれないから、石原さんと、録音の人と、僕の3人で高山の田舎のあぜ道に車を停めて、その車の中で何百回と録音をやったんですよ。

最初の100回くらいは録音の人も呆れていたけど、200、300回くらいになると僕なんかより録音の人が「石原さんここ直しちゃおうか」とか演出してくれて。

なんかそういうのも嬉しかったです。

作品が6月22日についに公開となりますが、今のお気持ちはいかがですか。

小平監督:緊張で毎日眠れなくて、夜中にプロデューサー・脚本の羽石さんにLINEを送りつけています。返信は返ってこないですけど(笑)。

公開まで4年かかっていて、今年が瀧井孝作さんの生誕130年の年だったのでこういう機会に劇場で上映させていただけるっていうのは、嬉しいですけど、緊張します…。

高山では試写会もすでにされていると思うのですが、ご覧になった方からの反応はどのような感じでしたか。

小平監督:高山では粗編(試写用にOKカットを抜き出して粗くつなぐ編集のこと)の試写会があって、瀧井孝作さんの親族の方や、高山に住んでいる方が観に来てくださっていました。

親族の方に「(監督が)小平くんで良かったよ、孝作さんも喜んでいるよ」みたいなことを言ってもらえたときはとっても嬉しかったです。

嬉しくてその日はつい、飲みすぎちゃいました…(笑)。

どのような方に観ていただきたい作品ですか。

小平監督:誰しも「忘れられない人」がいると思うので、ぜひ「忘れられない人」がいる人に観ていただきたいです。

“なんで瀧井孝作が晩年になって忘れられない人のことを書いたのか”というところを描いたつもりなので、そういうところを感じていただければ、人生が豊かになるのかなと信じています。

タイトルからは女性との恋愛の物語なのかなと思われがちですが、年老いた瀧井孝作さんが純粋で窮屈だったあの頃を振り返っている回顧録で、そこで思い出される色々な人との出会いと別れ、会者定離(えしゃじょうり:会うものには必ず別れる運命にあるということ)を感じてもらえれば嬉しいです。

~インタビューを終えて(小噺)~

監督はもともと漁師だったということですが、なぜ映画監督になろうと思ったのですか。

小平監督:僕、高校を卒業してからすぐ田舎で漁師をやっていて、ただの映画好きな漁師だったんですけど、20代半ばくらいになったときにふと、“幸せってなんだろうな”って思って。

たぶん今のままでも幸せだなとは思っていたのですが、このまま30代を迎えるのかとなんだか鬱々としていたときに映画『ジョー・ブラックをよろしく』(1998)を観たんです。

死神と大富豪の老人の話で、死神が人間界で女性に恋をして、でも死神は地球を離れないといけないから老人と一緒に死の世界に行く、という結末なのですが、そのラストシーンで大富豪の老人のほうが死神に「別れは辛いか」って聞くんです。

死神が「ああ辛いよ」と答えて、老人が「それが生きた証だ」って言って花火が打ちあがってライティングがすごく綺麗で。

それを観たときに漠然と“映画やりたいな”と思って、26歳で家出するという…。

家出ですか!

小平監督:それで東京に来て、映画学校を卒業して、なんやかんやで監督8年目ですね。

小平監督(左)と、羽石龍平さん(右)

プロデューサー・脚本の羽石龍平さんと小平監督はNCW(ニューシネマワークショップ)という映画学校の同期。10年の固い絆で結ばれたコンビである。

小平監督の最初の作品となる短編の一本目から携わり、夜中に小平監督が羽石さんに電話をすることもあるという。

また小平監督が漁師の映画を撮る際に、羽石さんが海に落ちて死にかけたというエピソードも紹介してくれた。

小平哲兵(こひら てっぺい)プロフィール

1987年生まれ、福井県越前町出身。高校卒業後に漁師になるが、映画製作を夢見て上京、2014年ニューシネマワークショップに在籍。在籍中に短編映画『父の日』を監督し、2017年には地元・福井の港町を舞台にした初の長編映画『トンカカトン』(劇場未公開)を監督・『初めての女』が劇場デビュー作となる。

映画『初めての女』オフィシャルサイト 
映画「初めての女」公式(@eiga_hajimeteno)

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