2014年『仮面ライダードライブ』で竹内涼真さん演じる、主人公・ドライブのライバルとして登場し、10年経った今でも根強い人気を誇るチェイス役で有名な、上遠野太洸(かとおの たいこう)さん。
2024年6月以降も東京・CBGKシブゲキ!!で上演される舞台『ビルズ・ビルズ・ビルズ』(6月20日~23日)や、浅草九劇で上演される舞台『天才的脱兎 再演』(8月16日~25日)では主演を務めるなど、活躍し続けている俳優さんです。
今回は、芸能界デビュー14年目となる上遠野さんご自身について、たっぷりお聞きしました。
母が勝手に応募した “ジュノンボーイ”がきっかけで芸能の世界へ
ーまずは、芸能界デビューのきっかけから教えていただけますか。
上遠野太洸(以下、上遠野):僕、普通に宮城県で暮らす、芸能については全く知らない、いたって普通の高校生だったんですけど、高校3年生のときに母が知り合いの方に言われて、僕の写真をジュノンスーパーボーイコンテスト※の書類選考に出したんです。
その写真が選考を通って、最終的にはグランプリをいただくことになって。
本音を言うと、その当時は芸能活動をするということにピンときていなかったんですけど、周りは「ジュノンのグランプリになったんだから、当たり前に芸能界に行くよね?」みたいな空気になっていて、コンテストでお世話になった方々にも「どこの事務所にするの?」って当然のように話が進んでいくし…。
当時まだ18歳だったので右も左もわからないまま、“やるしかない”という気持ちで芸能界に入りました。
ーご両親もびっくりですね。もともとご両親のほうが芸能界に興味があったのですか?
上遠野:それが実は、興味ゼロでした。
父も母も芸能について元々詳しくはなかったので、父も「結局どうするんだ、そんな職業ついて大丈夫か」って心配していましたし、母にも「勝手なことしてごめんね」ってめちゃくちゃ謝られました(笑)。
僕自身も普通に高校を卒業して、普通に大学にいくものだと思っていたので、当時はやっぱり寝耳に水というか…。
ー生活がガラッと変わったんですね。順応するのが大変だったのでは…。
上遠野:上京してからも、あまり深く自分について考えられる余裕はなかったですね。
日々与えられることをやっていかないといけなくて、でもお芝居なんてやったことないから怒られたとしても、なんで怒られているのかがわからないっていう毎日でした。
最初は確かに“来るんじゃなかった…”って思いましたね(笑)。
ーそれでも続けてこられた理由には、何があったのでしょうか。
上遠野:最初の頃は思い切って東京に出て来ちゃって、簡単に投げ出すわけにもいかなかったし、やるしかないからやってたと思います。
芸能界デビュー1年目のときに、Air studioさんというキャパ70人、80人くらいの小劇場で、若手にお芝居を経験させるための取り組みがあったんです。
『SAKURA』(2011)っていう時代ものの舞台のときに、お芝居が全然できなくて、あるとき演出家の方に「お前全然ダメだ」って言われて、僕だけレッスン居残りになって。
その場、その台詞に合った感情になるっていうことができなかったので、自分の中で感情をせき止めてるストッパーを外すみたいな、感情の解放の仕方を習いました。
それを教わった次の稽古から、自分のお芝居に対する向き合い方も、周りからの見え方も変わって、ちょっと“お芝居、面白いんじゃない…?”って思うようになっていったんです。
それから毎回色々な現場を踏むごとに、自分の成長を実感することで、俳優が楽しいと思えるようになっていきました。
ー事務所に所属したての頃から現場で学ぶことが多かったのですね。
上遠野:舞台もそうですけど、映像のオーディションとかも受けさせていただいたりしていましたね。
だから、逆にあんまりレッスンとかやんなかったんですよ。ドラマの現場で映像を学んで、舞台の現場でお芝居を学んでいました。
失敗ばかりでしたけどね…!
ーメンタル的に大変じゃないでしょうか…。
上遠野:メンタル的にはやっぱり厳しかったですよね。
レッスンで習っていないけど、でもそれは本番を観に来てくださるお客さんには関係ないことだし、できないとめちゃくちゃ怒られるし。
今だから言えるんですけど、やっぱり腐るときもありました。
「できないもんはできないよ!」って叫びたくなるくらい。“でもできないとダメだよな”って自分の中でも思うし、応援してくださるファンの方もその頃から少しずつ増えてきていたので、それに応えたいなって。
全然未熟だったんですけど、それでも見てくださるファンの方々がいて、励みになっていましたね。
転機となった映像作品は『仮面ライダードライブ』、舞台は『ピアフ』
ー俳優人生の転機となった作品は何ですか。
上遠野:色々あって悩むのですが、やはり『仮面ライダードライブ』(2014)(以下、ドライブ)でチェイスを演じたことですね。
『仮面ライダードライブ』
平成仮面ライダーシリーズ第16作目。主役となる仮面ライダードライブは自動車がモチーフとして設定され、シリーズで初めてバイクではなく自動車を運転するライダーとなっている。
チェイス / 魔進チェイサー/ 仮面ライダーチェイサー
魔進チェイサーとしてドライブら人類と敵対していたが、仮面ライダープロトドライブのころの正義の心が甦り、霧子らのサポートで仮面ライダーチェイサーに変身。融合進化態ロイミュードを倒し、ドライブらと共闘する。
1つの役に1年半もの長い期間携わって、役を育て続けることができる現場なんてなかなかないですし、特撮特有なのかなと思うのですが、若手を“育てる”みたいな意識が強い、成長を後押ししてくれるような現場でした。
ー歴史のあるシリーズに出演するというのは狭き門だと思いますが、実際にオーディションに合格したときはどういうお気持ちでしたか。
上遠野:『仮面ライダードライブ』のオーディションを受ける以前に、スーパー戦隊とか、仮面ライダーのオーディションは毎年受けていたんですけど、毎回落ちていて…。
“これで最後にしよう”って思って受けたオーディションだったので、「本当に受かったの⁉」ってしばらく信じられなかったです。めちゃくちゃ嬉しかったです。
ーもともと、チェイス / 狩野洸一役で受けていたのですか。
上遠野:もともとオーディションを受けるときは必ず主演を目指していたんですけど、ドライブのときは、オーディションで使う台本を見たとき、主演の役の感じが“ちょっと自分とは違うな”って思っていたんです。
毎年オーディションを受けていたので東映の方とも顔見知りになっていて、「今年は上遠野くんに似合いそうな役があるよ」って言われて、それがチェイスでした。
それから主演ではなくチェイスに集中したら、最終的には選んでいただけたので、“今までやってきたことは間違ってなかったんだ”って、認められたような感じがして本当に嬉しかったですね。
ーチェイスを演じる時に工夫していたことはありますか。
上遠野:「機械生命体」という存在なので、人間味を消すということに気をつけていました。
僕も人間なので完全に消すことは難しいけど、なるべく瞬きをしないとか、背筋を伸ばすとかそういうちょっとの我慢で人間味を消して、“こんなやつが言ってるから面白い”みたいなギャップも持たせられるように工夫していました。
ー『ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー』(2015)では主演となってスピンオフが制作されましたよね。
上遠野:続編のお話をいただいたときは、喜びと驚きで爆発しそうなくらい嬉しかったですね(笑)。
続編、しかもチェイスがメインのお話なんて、キャラクターとしての人気がないと成り立たないことなので、本当に本編で1年間くらい頑張ってよかったなと心から思いました。
ーファンの方も子どもから大人まで根強いイメージがあります。
上遠野:そうですね。
いまだに推してくれているファンの方たちはきっと、一生チェイスを覚えていてくれるんでしょうし、だからこそ今でも気を引き締めなきゃなと思います。
ー映像作品以外ですと、最近では舞台でのご活躍も目立ちます。舞台作品で一番印象に残っている作品や、共演者の方はいらっしゃいますか。
上遠野:これまでたくさん素晴らしい方々と共演させてもらったので迷うんですけど…1人お名前を挙げさせていただくなら、大竹しのぶさんですね。
大竹しのぶさんが主演の『ピアフ』(2018)という舞台で、僕がしのぶさん演じるエディット・ピアフの晩年の恋人テオ・サラポ役で共演させていただいたんですけど、そのときは“すごい女優さんに出会ってしまった…”と思いました。
しのぶさんはもう、舞台とか映像とかが関係ないところでピアフとして生きているというか、僕もお芝居は長いことやってきてるはずなのに、あんなに舞台の袖で人のお芝居をずっと見ているのは人生で初めてだったというくらい、どうしても目が離せなかった。
あれは一生忘れられない舞台ですね。
ー共演するにあたってすごく緊張されたのではないでしょうか。
上遠野:緊張しました。
しのぶさんとデュエットするシーンがあって、オーケストラの生演奏だったし、しのぶさんも音楽にすごくこだわりのある方だったので、厳しいことを言われるかなって思っていたんですけど、僕はあまり何も言われなかったですね。
たぶん、こっちがいっぱいいっぱいなのが伝わっていたのかな(笑)。
毎日必死で吐きそうでした。ミュージカルなのでただ歌えばいいのではなくて、想いを届ける歌を歌わないといけないんです。
歌でそのときの気持ちを伝えるっていうのが本当に大変でしたけど、すごく刺激的で楽しい舞台でしたね。
ーすごいですね。どうしたらそんなにストイックに頑張れるんですか。
上遠野:全然僕なんて大したことないんです。
もっともっときつい思いをしてる人がいっぱいいるだろうし、映像でも舞台でもですけど“楽しちゃ終わりなんだろうな”っていうことは常々考えています。
役を演じるうえで、きついなとかしんどいなって思えるような環境に自分を置いていないと、自分も成長しないのかなって思うんです。
その瞬間はそれで良くても、次の瞬間にまた違うものを求められる業界なので、それをずっとやっていく。難しいけど、それがこの仕事のやりがいなのかなと思います。
あと僕の中ではファンの方からいただく声が結構勉強になるんですよ。
ーファンレターなどですか?
上遠野:ファンレターもSNSのメッセージもそうなんですけど、僕の芝居について下手するとお客さんの方が詳しいんじゃないかって思うくらい、細かいところまで見てくださっている方々がいるんですよ。
“そんなこと考えてなかったな”みたいなことを感じてくれたりしていて、ファンレターやメッセージを見るたびに新しい発見があるので、本当にありがたいことだなと思います。
こういう方々はきっと僕が手を抜いたら一瞬で気づくんだろうなって思います(笑)。
俳優は14年目、相手の良さを引き出せるような役者になりたい
ーご自身のなかで大事にしている考え方はありますか。
上遠野:デビューが18歳で、今32歳で14年目になりますけど、今こそ貪欲にならないといけないと思います。
どんな現場でもどんな役でも、やっぱり“苦しむ”っていうことを忘れずにやっていきたいなって。
フリーランスですし、30も過ぎてるし現場に呼んでいただける時点でありがたいことなので、この役者を使ってよかったって思ってもらえるようなあり方をし続けていきたいですね。
ー俳優として今後はどうなっていきたいという目標はありますか。
上遠野:例えば主役がいてヒロインがいて、主役が僕だったとしたら、僕といる時にそのヒロインが輝いて見えるみたいな、そういう相手の良さも引き出せるような役者になりたいです。
映像でも舞台でも思わず目がいっちゃうような役者になりたいという希望もある反面、自分だけではなく作品としての質を上げられる役者でありたいなと。
ーちなみに憧れの俳優さんとかはいらっしゃるのですか。
上遠野:洋画をよく観るのですが、ジェイク・ギレンホール、リーアム・ニーソン、ジェラルド・バトラーのような渋くてかっこいい方に憧れます。
僕も年齢を重ねるごとに“渋み”を出していきたいなと…。
ー最近オフの日はどのように過ごされているのですか。
上遠野:ここ1ヶ月半ぐらいはずっと筋トレをしてますね。
この前まで『負けんな漫研!!!』(2024)という舞台でオタクの役だったので、ちょっとぽっちゃりしててもいいかと思って66キロまで太ってみたんですよ。
でもそのあとの『探偵物語』(2024)の舞台では僕の台詞で「58キロ」っていう台詞があって、「やばいやばい、体重落とさなきゃ!」ってなって、なんとか60キロまで落としました(笑)。
6月20日から始まる『ビルズ・ビルズ・ビルズ』の衣装もピタピタのシャツ一枚で結構ボディラインが出るので、ちゃんと筋トレしておかないとと思って、なんとか継続している感じです。
ーファンの方々も楽しみにしていらっしゃると思うのですが、今まさに準備中の舞台について最後に一言お願いします!
上遠野:6月20日〜23日に『ビルズ・ビルズ・ビルズ』、8月16日〜25日に『天才的脱兎 再演』が上演されます。
『天才的脱兎 再演』はコロナ禍に一度無観客でやったことのある作品の再演になるんですけど、主演を務めさせていただくので改めて前回より面白くしたいなと意気込んでおります…!
どちらもぜひ観に来ていただけたら嬉しいです!
上遠野太洸(かとおの たいこう)プロフィール
1992年10月27日生まれ、宮城県出身、A型。
2010年、『第23回JUNONスーパーボーイ・コンテスト』にてグランプリを受賞。
11年、舞台『劇男JB』で俳優デビュー。同年、ドラマ『花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011』に出演。以降、ドラマ『黒の女教師』(12年)、ドラマ『仮面ライダードライブ』(14年)、映画『忘れ雪』(15年)、舞台『虚構の劇団 天使は瞳を閉じて』(16年)、ドラマ『将棋めし』(17年)、ドラマ『文学処女』(18年)、ドラマ『チワワちゃん』(19年)、ドラマ『彼が僕に恋した理由』(20年)、舞台『GORIZO STAGE Vol.4 天才的脱兎』(21年)、映画『HE-LOW THE FINAL』(22年)など数多くの映画やドラマ、舞台、多岐にわたって活躍。
特技:バレーボール、趣味:アニメ鑑賞。
X 上遠野 太洸(@tai70741239)
Instagram 上遠野太洸(@taikokatono)
上遠野太洸さん出演作はこちら
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撮影:髙橋耀太