「ヒーローを支えた人たちにドラマ性を感じる」映画監督・田中光敏の流儀とは

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2024年10月11日~10月14日にかけて行われた第19回札幌国際短編映画祭で国際審査員を務めた田中光敏(たなかみつとし)監督。『海難1890』や『天外者』など数々の作品を生み出してきた田中監督に、インタビューを通じて映画監督人生を振り返りながら、監督として大切にしていることなど、たくさんのことを語っていただきました。

「今まで築いてきた立場を失うことが怖かった」映画監督・田中光敏の原点に迫る

ー映画監督を目指したきっかけは何だったのでしょうか。

田中光敏さん(以下、田中):僕はもともとコマーシャルを作る会社でお仕事をしていて、そのときにコマーシャルを担当していた化粧品会社の社長さんから「映画を撮らないか」と声をかけてもらったんです。

もともと映画監督になりたいという夢は持っていましたが、映画監督になれる土壌や環境はなかったので、コマーシャルを作る会社に就職しました。そこで「メジャーなコマーシャルを作りたい」という目標を立てて、それを達成することもできました。

自分を含め多くの人が憧れるような大手の会社のコマーシャルを、やっと作れるようになったときに、ありがたいことに「映画を撮らないか」というお話をいただいたんです。でもコマーシャルディレクターとして、今まで築いてきた立場を失うことが怖かったので、4年くらいお断りしてしまっていました。

ーなるほど。そこからデビューするまでの流れを教えてください。

田中:デビュー作は『化粧師』(2002)です。これは石ノ森章太郎さんの『八百八町表裏 化粧師』(はっぴゃくやちょうひょうりのけわいし)が原作の映画です。

僕が映画監督になることを応援してくれていた化粧品会社さんへの恩返しとまでは言いませんが、この映画を作ることは、その化粧品会社さんにとってもマイナスにはならないだろうと思ったので、映画監督を務めることを決めました。

だから映画の助監督として仕事をした後、監督になって映画を撮っている方とは映画監督としての生い立ちが少し違うと思います。

ー今まで撮ってきた数々の映画の中で特に印象深い作品を教えてください。

田中:やはりデビュー作は忘れられないですが、自分の人生を変えた一作だと『利休にたずねよ』(2013)です。

利休にたずねよ
茶道を確立した千利休が掲げた美意識「侘(わび)」「寂(さび)」の根源に迫る!

映画の原作で直木賞を受賞した『利休にたずねよ』の作者・山本兼一さんが、『火天の城』(2009)を観てくれていたみたいで、僕に電話をかけてくれたんです。僕も『利休にたずねよ』を読んでみたら、すごく面白かったので「若い与四郎(千利休)を映画で撮りたい」と思っていました。

山本さんも僕も、キャストとして頭に浮かんだのが市川海老蔵さんだったんです。その時に、山本さんから「田中監督に原作権を渡すから映画を作ってくれ」と言っていただきました。僕は大手の配給会社に所属しているわけではなかったのですが、僕を信頼してくれて、そこから映画『利休にたずねよ』が企画されていきました。

ー『利休にたずねよ』の撮影はどうでしたか。

田中:大変なことも多かったですね。15代目の樂吉左衛門(らくきちざえもん)さんが5億円で万代屋黒(もずやぐろ)という、千利休が使ったとされる本物のお茶碗を買い戻したという話が当時あったんですよ。それで無謀にも僕たちはそれを映画に貸してくれとお願いをしたんです。

そしたら「使ってもいいがお湯を中に入れてはいけない」という約束になったんです。でもそれだとお茶事をするシーンは撮影できないので、万代屋黒を借りるのはやめようと思っていました。しかし結局、本物の万代屋黒を実際に使ってお茶を立ててもいいという許可が降りたんです。

ただ100年間以上お茶碗にお湯を通していないから、お茶を立てた瞬間に割れてしまうんですよ。僕たちはお茶碗に関して本当に素人だったので、樂吉左衛門さんが本番が始まるまでの3か月の間、毎日3~4時間お茶碗に湯気を当ててお茶事ができるお茶碗に戻してくれました。

それでも5億円のお茶碗が割れてしまう可能性は常にあるので、僕は震えながらワンテイクを撮影しました。

ー5億円のお茶碗を使って本当にお茶を立てるというのはすごいですね。

田中:万代屋黒が映画に登場するということが広まり、本当に利休が使ったとされる本物のお茶碗が色々なところからこの映画に集まってきたんですよ。なのであの映画で使用されているものは本物だらけなんです。

ー『利休にたずねよ』がモントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞された時のお気持ちはどうでしたか。

田中:感動しました。海外に見せたい映画でもあると感じていたタイミングでちょうどモントリオール世界映画祭の審査員が選考のために来日したんです。

実際に賞を取れるかはわかりませんでしたが、原作者である山本さんもご病気の悪化というリスクを負いながら、モントリオールまで来てくれました。壇上で賞状を受け取ったのは山本さんで、盛大な拍手を浴びていましたね。

ーそうだったんですね。田中監督が映画を作るうえで大切にしていることはありますか?

田中:「ヒーローを支えた存在」にスポットライトを当てることを意識しています。歴史に名が残っているわけではないですが、それでもヒーローを支えた存在が必ずいると思うんです。

例えば、織田信長は活躍して歴史を作りましたが、織田信長のようなヒーローを支えた人が必ずいるはずです。今はもう名前が残っていなくても、ヒーローを支えた人たちにドラマ性を感じます。

『海難1890』(2015)もそうです。死に物狂いで海に飛び込んで溺れているトルコの人たちを助けた村人が、歴史の中では名もなき一人だったとしてもやはり主人公なんです。

海難1890
史実をもとに、日本とトルコ共和国の絆の深さを映し出した物語

歴史に名前が残っていなかったとしても、支えていた人たちが何をしたのかということが、僕の映画のテーマでもあります。

「伝え残すことにも意味はある」故郷・北海道から映画を発信する想い

ー札幌国際短編映画祭の国際審査員が決まったときのお気持ちを教えてください。

田中:まず最初に“僕にできるかな”と思いましたが、短編映画祭は初めてだったのでとても楽しみにしていました。

実際に短編映画を見てみましたが、すごくレベルの高い作品がたくさんあったので、審査するというよりもただ楽しく鑑賞していました。

夜中の1時くらいで中断しようと思っていても、気がつけば3時になっていたこともありましたね(笑)。

-この映画祭で楽しみにしていることはありますか。

田中:僕の故郷でもある北海道で生まれた映画祭が、どういう人たちに19年間愛されて育ってきたのかということを、色々な人とお話をしながら味わいたいです。

ー2025年にクランクインが予定されている映画『北の流氷』(仮題)についても少し教えてください。これはどのような作品なのでしょうか。

田中:北海道に入職してきた人たちがあまりの寒さに、森林伐採をして森の木を燃やしてしまったことで、えりも町のあたりが砂漠化してしまい、それが原因で漁場と畑が荒れてしまったことで町の人たちが生活できなくなってしまったんです。

自分たちの故郷を捨てて集団転移をするのではなく、どうにか町を蘇らせようということで漁師たちが植林を始めた話に焦点を当てた映画です。そしてその活動を始めてから70が経った今、えりもはすごい緑豊かになっていますし、漁場も本当にきれいに蘇りました。

ー今はこの映画の準備段階だと思いますが、大変なことはありますか。

田中:やはり一番の壁は製作費を集めることですね。あとは移動時間が長くなってしまうことです。撮影地としては襟裳や知床半島などを予定していて、東京から襟裳の現地に行くまでに7時間以上かかってしまうんです。そうなると、東京なら1日でできる仕事が3日かかってしまいます。

東京と北海道の往復に長時間がかかるということを含めて、リアルなスケジュールをしっかり組んでいかなければならない大変さがあります。

ー監督の故郷・北海道での映画撮影ですね。

田中:そうなんです。だから少しプレッシャーもあります。僕が今まで撮ってきた映画の中で一番面白くなかった映画が故郷で撮った映画だと言われないよう、面白い作品に仕上げなければと思います。

ーこの映画の意気込みをお願いします。

田中:撮影の中心地は北海道なので、北海道の風景も楽しめる作品ですし、みなさんの心に届く映画になると信じて準備を進めています。歴史の中に埋もれてしまったストーリーを掘り起こして、伝え残すということにも意味はあると思っていますし、たくさんの人に見てもらえたらうれしいです。

久石譲さんが音楽を担当してくださっていますし、出演者の方もとても豪華なので、情報解禁も楽しみにしていてもらえたらと思います。

田中光敏(たなかみつとし)プロフィール

北海道浦河町出身。映画監督・大阪芸術大学映像学科学科長。2001年『化粧師-kewaishi』で映画監督デビュー。『精霊流し』『火天の城』『サクラサク』『利休にたずねよ』(モントリオール世界映画祭最優秀芸術賞、第37回日本アカデミー賞作品賞他9部門で優秀賞受賞)日本とトルコの合作映画『海難1890』(第39回日本アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞等10部門で優秀賞受賞)。三浦春馬主演『天外者』(2020年)において第94回キネマ旬報、読者選出日本映画ベスト・テン第一位、読者選出日本映画監督賞第一位のW受賞。最新作は2023年公開『親のお金は誰のもの~法定相続人~』

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