第15回日本映像グランプリ脚本賞を受賞した話題の映画『冗談じゃないよ』。
5~6月にかけて東京・大阪・京都で上映された本作が、今夏再び東京に帰ってきます!
7/29池袋HUMAXシネマズにて、8/2~8/8の一週間限定でUPLINK吉祥寺にて上映されます。
今回は映画『冗談じゃないよ』の監督を務めた日下玉巳(くさかたまみ)さんにインタビューしました。日下さんは石間このみ役として出演もされています。
監督目線から語られる映画『冗談じゃないよ』の物語や、俳優・監督として活躍されるその裏に隠れた苦労、さらには将来の目標など。魅力的なお話をたくさんしていただきました!
映画『冗談じゃないよ』作品紹介
30歳が迫っている売れない役者、江田丈。オーディションを受け、荷上げのバイトで稼ぎ、仲間と酒を飲み、それなりに充実した毎日を送っていた。何に対しても、ただただまっすぐ突き進んできた丈だったが、年齢を重ねるにつれ、周囲とすれ違い、衝突することが多くなる。理想と現実の狭間で、愛する人たちを失いそうになった丈は…。
夢を追うすべての人へ送る、若者たちの物語。
「うまく喧嘩ができたからこそ絆が生まれた」映画監督の語る裏話
ー以前映画『冗談じゃないよ』主演の海老沢七海さんにもインタビューをさせていただきました。この映画は海老沢さんの経験したエピソードをもとに制作されたそうですね。
日下玉巳(以下、日下):この映画には海老沢さんの破天荒なエピソードが使われています。本人から聞くと単なる面白い話になっちゃうから、海老沢さんの高校の同級生や本人以外からも話を聞きました。
少し衝撃的なエピソードもありましたが、聞いたこと全てを受け入れて「それでも映画を作りましょう」ってこの映画を企画した海老沢さんに伝えました。
ー話を聞いたうえで映画を作ろうと決心できたのはなぜですか?
日下:海老沢さん自体の魅力に惹かれたということもあると思いますが、私も映画を作りたかったので、話を聞いて覚悟が決まりました。
ー本作の企画・主演を務めた海老沢さんとのエピソードについて教えてください。
日下:海老沢さんとはもともと友達だったんですよ。俳優の髙橋雄祐さんが監督の『屋上園』(2024)で共演しました。
海老沢さんは後輩が好きで、「家で鍋するから来なよ」って誘われて行くと、そこに若手の後輩を集めてできた海老沢軍団みたいなのがいるんですよね(笑)。
ーそうなんですね。しかし海老沢さんから喧嘩もしながら作り上げていったとお聞きしました。
日下:海老沢さんが「映画を作ろう」って連絡してくれた時も、彼が「お金も全部、僕がなんとかするよ」っていう勢いだったので、それに対して私が「海老沢さん、本当に大丈夫ですか」って言い合いになることとか…。
色々言い合ってうまく喧嘩ができたからこそ、絆が生まれたのかもしれないですね。
ー俳優をテーマにした本作は登場人物全員にフルネームの名前がつけられていて、俳優へのリスペクトが感じられます。キャスティングについて教えてください。
日下:オーディションを開催してみて、“素敵な人がこんなにたくさんいるんだ”って思うのと同時に、一緒にお仕事できる機会が少ないことに悔しさも感じました。
だからまずは自分の映画でできる限り多くの方と一緒にお仕事をしたいと思ったので、予定より役が増えていったんですよ。
出演作を伝える時「『冗談じゃないよ』のサラリーマン役を演じました」って言うのと「『冗談じゃないよ』の〇〇役を演じました」って言うのとでは全然違うし、台本を読んだ時のテンションや、モチベーションも上がると思いました。フルネームを考えること自体は一日あればできます。
ーこだわりと熱意が感じられる映画でした。上映した反響はどうでしたか?
日下:俳優業をしている人は特に共感してくれています。将来の夢を追いかけている人はもちろん、夢を持っていない人にもこの映画から何かを感じ取ってもらえたみたいです。
私は子どもの頃からお芝居をしていたので“常に目指す夢がある”みたいな状態だったんですよ。だからやりたいことに対してまだ一歩踏みだせずにいる人や将来の夢が見つからずに悩んでいる人がこの映画を観て反応をくれたことが嬉しかったですね。
上映後に映画を観てくださった方とお話しできる機会があったのですが、その時の「言いたいことはあるんだけどうまく言葉にできない」みたいな表情には心にグッと来るものがありました。
ー作中のお気に入りのシーンを教えてください。
日下:居酒屋でサラリーマンと俳優が喧嘩するシーンです。ワンシーンワンカットで撮れたから、「不穏な空気が漂っているなかで起きる喧嘩の勢い」をうまくカメラに収めることができたシーンになったと思います。
ー今回の映画を通して“成長したな”と思うところなどはありますか?
日下:他の人に頼ることの大切さを学べたところだと思います。“映画監督はその映画に関する全てを分かっていなければならないものなのに、今の自分では技術が足りない”って思っていたからこそ、他の人に頼ることができなくて…。
もし私が「分からないです」と言ったら“やっぱり分かっていないんだな”って思われることが怖くて、意地を張って“負けないぞ”と思いながら現場にいました。
でもそれではダメだよなって感じながらも気付けば撮影は終わっていて、“なんでもっと人を頼らなかったんだろう”という後悔がありました。
ーなるほど。確かに簡単そうに見えて難しいことですよね。
日下:そのあと映画の主題歌でもあるグッナイ小形さんの「千年」という曲のミュージックビデオも撮ったんですよ。その時には積極的に「どう思いますか?」って聞くようにしました。
私は意見を聞いて話し合うことで、より良い作品を作れるタイプだなと思ったので、話し合いを大事にしました。
私も俳優として現場に行ったときに、監督から「とりあえず何かして」みたいに言われると、どうするか考え始めちゃって、あまりうまくいかないタイプなんですよ。
出演する俳優さんに「どう思いますか?」「普段はどうしてますか?」みたいな感じで聞くと、俳優さん側もやりやすくなると思いますし、話し合いからアイディアが生まれればさらに良いものになると思いました。
ー改めて『冗談じゃないよ』の意気込みをお願いします!
日下:この映画がもっと多くの人に届いてほしいです。映画を観ることって生きる活力になったり一歩踏み出すきかっけになったりするのでエネルギーのある作品を作りたかったんです。
まさに夢を追いかけている若者とか、夢を持っていたけど折り合いをつけた人にも届いてほしいですし、「こんなこと自分にはできないんじゃないか」って踏みとどまっている人、プライドが高く一歩踏み出すのに時間がかかってしまう人にも観てもえたら嬉しいです。
“俳優・日下玉巳”の歩みに迫る 「心がポキッて折れたこともありました」
ー芸能界デビューのきっかけは何だったのですか?
日下:私が5歳くらいの時に「テレビに出たい」って母に言ったことをきっかけに、母が子役事務所のオーディションを受けさせてくれたんですよ。そこで子役事務所に入ってお芝居のレッスンを受けていました。
ー子役のころからずっと芸能活動を継続してやっているんですか?
日下:ずっとというわけではないです。子役事務所には14歳くらいまで所属していて、そのころに受けた規模の大きい映画のオーディションで最終審査まで残ったものの、結局落ちてしまって…。そのオーディションへの思い入れが強かった分、心がポキッて折れたこともあります。
そこから受験勉強に励んで、高校に入学してからしばらく高校生活を楽しんでいたんですけど、ふとした時に“やっぱりお芝居したいな”って思うようになったので、高校2年生くらいから自分で事務所を探し始めました。
そのあとはフリーになったり、事務所に入ったりと転々としていて、大学に通いながら自分でオーディションに応募してましたね。
お芝居の勉強を学校で学ぶということにあまりピンと来なかったので、大学では興味のあった子どもの教育について勉強して教育実習にも行きました。
ー俳優としての活動と大学生活の両立はかなり大変そうですね。
日下:教育実習以外にも、介護体験もしたし児童養護施設にも行きました。俳優業と両立はできるんですけど、大学での実習は、本当に大変でした。
ー俳優として出演した作品で思い出深いものはありますか。
日下:中田江玲(なかだえれ)監督の『最も無害で、あまりにも攻撃的』(2022)という作品です。1週間くらい泊まりこみで撮影して、ひとつの役にそれだけ長く向き合うというのは初めてのことでした。
“泣くお芝居をしていても、「カット」って言われたらすぐ笑顔になれる”という「子役の美学」みたいなものが私の中にずっとあって、“お芝居と現実を切り分けられることがかっこいい”って思っていたんですけど、この作品ではどうも切り分けられない瞬間や、役と自分が一緒に生きているみたいな感覚がありました。
これが自分にとって衝撃的なことで、“俳優としてこういうお芝居を続けていけたら幸せだな”って思いましたね。
対抗心から生まれた”映画監督・日下玉巳” 「ちゃんと面白い映画を作れる監督でありたい」
ー現在は俳優・監督の両方をやられていますよね。映画監督をやろうと思ったきっかけはなんですか?
日下:映画監督に興味はありましたが、自分が出来るようなものではないと思っていました。 ですが、19歳の時に受けた舞台のオーディションに落ちた時、“このオーディションに受かった人は2、3ヶ月で稽古して本番をやり遂げるんだ”と思ったら悔しくて、“なにか、やり遂げる事をしよう!”という気持ちになり、映像作品を1本作ってみたことが映画監督としての始まりです。
私は俳優もやっていたから、なんとなく映画を撮る方法は知っていたので、手探りで作っていきました。
ーそのあとは監督としてどのような活動をしていったのですか?
日下:初めてちゃんと映画っぽく作れた作品は『最悪は友達さ』(2021)です。その後も作品を撮るということは続けていきました。
ー映画監督をやってみて大変だったことはなんでしたか?
日下:現場でちゃんと気を配ることです。例えば場所の使用許可は取っていても、道を塞ぐなら誰かに道の端に立ってもらって交通整理みたいなことをしなきゃいけない。
当時は現場での常識みたいなものが全然分かっていなかったから、周りからするとすごく呑気な人に見えたと思うし、日没に合わせて撮影をペースアップしなきゃいけないとか、映画監督として現場を知らないから心配されたし、いら立たせてしまうこともあったかもしれません。
録音や照明係のスタッフさんたち、メイクさんや俳優さんの全員にちゃんと気を配らなきゃいけないということが大変でした。
ー映画監督として辛かった経験などについて教えてください。
日下:まさにこの『冗談じゃないよ』を撮り終わったあとはへこみました。撮影を終えて編集している最中に“自分が思っているほど映画監督として天才ではなかった”と思い知らされて、単純に撮影が終わって燃え尽きていたということも大きな要因ですが、全部辞めてしまってもいいかなって思ってしまうくらいにへこんだんですよ。
でも映画を観てくれた方の表情を見て、感想を聞いたら元気になったので、俳優と監督を続けていきたいって気持ちに戻れました。
ー大変なことや辛いことも多いなか、それでも続けられる映画監督という仕事の面白さを教えてください。
日下:監督はやらなければならないことも多いですが、作った映画を観てくれたお客さんから感想をいただく時は特にやりがいを感じます。やりがいと魅力のある仕事だなって思います。
ー作品を作るうえで意識していることはなんですか。
日下:あるテーマで作品を作った時に、その当事者をはじめとして観てくださった人が「こうではないな」と思うことが一番良くないので、失礼はないようにしなければならないと思いますが、でも踏み込んでいかないと良い作品にならないとも感じてもいます。
どこまで踏み込めるかというバランスに注意することがものすごく重要だと思います。
ーこれからも俳優・監督として活動されるんですか?
日下:両方やっていきたいです。子役のころから続けている分、お芝居の演出は分かっているはずなので、俳優も監督も両方やることで、成長できると思います。
ー最後に、日下さんの将来の展望について教えてください。
日下:やっぱり幸せでいたいので、人生の目標でいうと、庭がある家に住んで、家族を持って犬と一緒に暮らしたいです。今も犬を飼っているんですよ。愛犬のためにも頑張りたいな(笑)。
稼ぐための仕事じゃなくて、ちゃんと面白い映画を作れる監督でありたいです。監督は、すでに台本が決まっている俳優よりも映画を作るにあたって決定できることが多いので、だからこそちゃんとかっこいい人間でいたいなって思います。
日下玉巳(くさか たまみ)プロフィール
1999年生まれ。神奈川県出身。jungle所属。
6歳から芸能活動をスタートさせ、映画・ドラマ・CM幅広い分野で活動。
主な出演作品は、映画「ハッピーエンディングス」(21/大崎章監督)、「まなみ100%」(23/川北ゆめき監督)、「神回」(23/中村貴一朗監督)、「屋上園」(24/髙橋雄祐監督)、ドラマ「消しゴムをくれた女子を好きになった。」(22/草野翔吾監督)
Instagram @i_tamago
映画『冗談じゃないよ』主演・海老沢七海(えびさわ ななみ)さんのインタビューはこちらから!